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前橋地方裁判所高崎支部 昭和43年(ワ)196号 判決

原告

群馬中央バス株式会社

被告

群馬バス株式会社

主文

被告は原告に対し金一、三七六、六六三円及び之に対する昭和四三年九月四日以降支払済に至る迄年五分の金銭を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は之を二分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

この判決は、原告勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実

(当事者の求める裁判)

一、原告

「被告は原告に対し金二、五三四、四〇二円及び之に対する昭和四三年九月四日から完済に至る迄年五分の金銭を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決及び仮執行の宣言。

二、被告

原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。

(当事者の主張)

第一、原告の請求原因

一、原告会社は道路運送法による一般乗合旅客自動車運送事業等を営むものであり、被告会社も右同様の事業を営むものである。

二、原告会社の従業員である運転者栗原政次は昭和四二年四月一七日早朝訴外安中土建株式会社の従業員三十余名を乗せた原告会社所有の群2い3359号大型貸切バスを運転し、安中市大字上秋間から県道を安中駅方面に向つて進行中、午前六時五〇分頃同市下秋間一三九六番地先に差しかかつた際、被告会社の運転者内山稔が、同会社所有の大型定期バスを運転して反対方向より右道路上を接近し来るのを発見し、急ぎ自車を道路の左端すれすれに寄せて停車した瞬間、被告会社の右大型バスは道路のセンターラインを超えて疾走し来り原告会社所有の右貸切バスに正面衝突した。

三、右衝突事故により右貸切バスの乗客大沢律子外三〇名が負傷し、貸切バスが大破する等した結果原告は次のような損害を蒙つた。

原告会社バス修繕費 一、三七六、六六三円

貸切バス料金損失 一五、九八四円(燃料費一四四キロ分二、〇一六円差引き)

貸切バス休業補償 六六七、〇八六円(燃料、給料差引き)

人件費 八一、六一一円(本件事故処理に要したもの)

自動車燃料消耗費 六〇、二〇〇円(一キロ当り(高)七〇円(普)五〇円)

電話料 一、八一八円(事故関係通話料)

見舞金 九三、二九〇円(負傷者三一名に対する見舞金)

医療費立替金 二三四、七五〇円(保険より支払われるもの)

雑費 三、〇〇〇円

合計金二、五三四、四〇二円。

四、右損害は、前記のように、被告会社の運転者内山稔が被告の業務である一般乗合自動車の運転における過失によつて惹起した事故に起因するものであつて、被告は右運転者の使用者としてその賠償の義務があるから、茲に原告は被告に対し右金銭及び之に対する本訴状送達の翌日である昭和四三年九月四日から支払済に至る迄法定の年五分の遅延損害金の支払を請求する。

第二、被告の答弁

一、原告主張の一、の事実は認める。

二、同二、の事実中、原告主張の日時頃その主張の場所で原告会社の従業員である運転者栗原政次が原告会社所有の大型バスを運転し同じく被告会社の従業員である運転者内山稔が同会社所有の大型バスを運転していて、双方のバスが衝突したことは認めるが、その余の原告主張事実は之を争う。

三、同三、の事実中原告の蒙つた損害の点は不知。

四、同四、の事実中被告会社の運転者内山稔に過失が有つたこと及び被告会社に損害賠償責任ありとの主張は之を争う。

第三、被告の抗弁

一、昭和四二年六月二〇日原被告間に次のような和解が成立した。

(1) 被告は原告に対し、破損した原告会社の車両の修理費として金一、〇二三、〇〇〇円を支払う。

(2) 被告は、被告会社の車両の修理費を自ら負担すること。

(3) 車両休業補償は相互に請求しないこと。

(4) 負傷した乗客に対する示談については原告において善処し、被告は之に協力すること。

二、右和解契約は、原告会社の代表取締役畑祥一自らその折衝に立会いその内容を承認したものであり、被告会社は和解交渉についての権限を授与された営業部長三沢一衛が代理人として関与し締結されたものである。

三、その後昭和四三年五月一五日被告は前記一、(1)の車両修理費金一、〇二三、〇〇〇円を原告に対し弁済の為現実に提供したけれどもその受領を拒絶されたので、同年五月二三日被告は同額の金銭を原告の為前橋地方法務局に弁済供託した。

よつて原告の本訴請求は失当である。

第四、原告の答弁

一、被告主張の抗弁一、の事実は否認する。

二、同二、の事実も否認する。本件示談書には原告会社取締役畑幹夫が署名しているが、原告会社の定款によると、代表取締役は取締役会の決議を執行すべきものとされ、本件示談の如き重要事項は重役及び幹部社員一同で慎重協議の上決定されるべき事であるから畑幹夫が独断で結んだ示談契約は効力を生じない。

三、同三、の事実中供託の事実は認めるが、被告が原告に対し現実に弁済提供したことは否認する。

第五、原告の抗弁

一、仮に被告主張の如き内容の示談が成立したとしても、昭和四二年六月二三日右示談契約は合意解除された。

二、仮に右事実が認められないとしても、右契約に関与した原告会社取締役畑幹夫の意思表示は要素に錯誤があるから無効である。すなわち、本件事故において、原告会社の栗原運転者は全く無過失であつたにも拘らず、その頃捜査当局は原、被告会社運転者の双方に過失が有つたという誤つた見解を持つていたところから、原告会社取締役畑幹夫は、之に左右されて原告会社の運転者にも過失が有つたと錯誤し、その錯誤によつて前記示談書に署名捺印するに至つたのであつて、右示談契約は無効である。

第六、被告の答弁

一、原告主張の抗弁一、の事実は否認する。

二、同二、の事実も否認する。本件和解は、被告会社側の和解申入れに対して、原告会社側ではよく相談して置くということであり、その後原告会社側の相談が纒つたから来て呉れというので三沢取締役等が原告会社に赴いて同会社社長畑祥一との間で和解成立するに至つた次第であつて、原告も自動車による旅客運送等を業とする会社で、交通事故については専門的知識と経験を有するものであるから、交通事故に関する一般素人が被害者として和解する場合とは趣きを異にするものである。

(証拠)〔略〕

理由

一、原告主張の請求原因一、の事実は当事者間に争いがない。

二、同二、の事実中原告主張の日時、場所において、原告会社の従業員栗原政次の運転する原告所有の大型バスと、被告会社の従業員である内山稔の運転する大型バスとが衝突したことは争いがなく、その余の事実は、〔証拠略〕により之を認めることができる。

三、右衝突事故により原告会社所有の大型バスが破損し、乗客が負傷したことは被告において明かに争わないところである。

四、被告は、右事故により生じた損害の賠償について和解契約が成立したと主張し、原告は之を争うので、先ずこの点について検討する。〔証拠略〕によれば、昭和四二年六月一九日被告会社の営業部長三沢一衛は、被告会社の代表者より本件事故による損害の補償についての示談交渉に関する権限を授与された上原告会社に赴き、原告会社の代表者畑祥一、営業担当取締役畑幹夫、整備課長御山辰之助と面接し、示談に関する被告会社の案を示し、その考慮を求めて折衝したが、同日は一旦辞去し、同年六月二〇日再び原告会社を訪れ、同人らとの間に示談に関する折衝を重ねた結果被告主張の如き内容の示談が成立したのであるが、その内容の決定については原告会社の代表者畑祥一自ら関与したが、示談書の末尾には、被告会社の営業部長である三沢一衛(被告会社の代理人)が署名捺印したこともあつて、原告会社の営業担当取締役たる畑幹夫が畑祥一の指示に基き署名捺印したものと認められる。右事実によれば、示談書自体には原、被告各代表者の署名捺印を欠くけれども、その内容の決定は、示談契約の締結について権限ある者によつて為されたものというべきであり、各代表者の署名捺印の欠缺は示談の効力に何らの消長を及ぼすべきものではない。

尤も、原告は、右示談は原告会社の取締役会の決議を経ることなくして為されたものでありその効無しと主張するが、仮にそうとしても、それは内部的な決議を欠くにすぎず、契約の相手方たる被告会社の代理人三沢一衛がその事を知り若しくは知り得べかりしことの主張、立証のない本件では、右示談契約の効力を左右すべきものとは云えないのである。

五、原告は、本件示談契約は後に合意解除されたと主張し、その趣旨の福島定男の証言があるけれども、之に反する三沢一衛(第一、二回)富沢正光の各証言があるのみならず、他に右示談の解消につき原告が合意したことを確認し得る証拠がないので、原告の右主張は採用できない。

六、次に原告は、本件示談契約は要素に錯誤があるから無効であると主張するので之を検討する。

〔証拠略〕を総合すれば、事故後原告会社の重役その他会社の幹部が現場に赴いて調査したり捜査当局の意見を求めるなど事故原因についての究明をしたが、本件示談が為された昭和四二年六月二〇日頃は、原告会社の幹部においても事故原因の概略を把握し、破損した自動車の一応の修理も為され、負傷した乗客との示示談をしたものと認められるのであつて、このような示談契約は、当事者双方の過失の存否、程度の徹底的究明に基く損害賠償額の事者双方の過失の存否、程度の徹底的究明に基く損害賠償額の正確な算出は暫く不問に付し、今後生ずるかも知れない損害賠償の数額についての紛争を避ける目的で為されたものというべく、従つて約定された賠償額が客観的に相当な数額と正確に一致しないとしても、それはもとより示談契約の趣旨からして敢て異とするに足らず、後日に至つて之を争うことはたやすく許すべきではないのである。

ただ、仮に原告会社の運転者に全く過失がなく(この点を認定し得る十分な資料はないが)、原告会社の車両の乗客に対する損害賠償も本来すべて被告の責に帰すべきものであつたとすれば、本件示談(4)の条項(事実の記載中第三、被告の抗弁一、(4)参照)などの内容は相当でない(前掲証拠によれば、被告は乗客に対する金銭賠償の責を負わぬこととされる)こととなり、若しその約定が、原告会社の運転者にも若干の過失が有つたという前提で為されたものであつて、あつたとすれば、このような認識に錯誤がその錯誤なかりせば原告は右示談をしなかつたであろうとも考えられるので、かような意思表示には要素の錯誤ありと解する余地もないではない。

しかし乍ら前掲証拠によれば、原告会社としては、事故当日の幹部社員の現地調査を基に、翌四月一八日事故対策協議会を開いて検討した結果、原告会社の栗原運転者に過失なしとの一応の結論に達したもののようであつて、原告会社の運転者の過失の有無の認識について前記のような錯誤があつたと見ることは疑問であると云わねばならない。そして仮に示談契約に立会つた原告会社代表者畑祥一又は共に交渉に当つた同会社取締役畑幹夫にそのような錯誤が有つたとすれば、前判示の経緯によつて明かなように、自動車による旅客運送を業とし、交通事故についての専門的知識経験を有する会社の幹部らの協議により出た結論に反し、栗原運転者に過失ありとの前提に立つて前記の如き示談に応じた点において、表意者に重大な過失があつたというべきである。そして弁論の全趣旨によれば、被告の主張は、仮に示談契約に錯誤ありとしても、原告側に重過失ありとの趣旨を含む(事実の記載中第六、被告の答弁二、参照)ものと認められるから、本件示談契約が無効であることを原告において主張し得ないものというべく、この点に関する原告の主張は排斥を免れない。

七、以上いずれの点からしても、原被告間に締結された本件示談契約が不成立又は無効であるとの原告の主張は排斥を免れないのであつて、原告は右契約に拘束されるものと云わなければならない。そしてその契約の趣旨は、要するに、本件事故に関し被告は原告に対し原告会社の車両の修理費用のみを賠償すべく、それ以外相互に一切損害賠償請求をしない、というに帰するものと解される。

ところで右示談契約の第一項において、被告は原告に対し車両修理費一、〇二三、〇〇〇円を支払う旨を約しているが、〔証拠略〕を総合すると、本件示談についての折衝の際、原告側より、事故で破損した原告会社の車両の修理費用全額を弁償され度いこと、その場合は右車両の休業による補償を請求しないこと等、を内容とする案を提示し、被告側は之を容れて右示談に応じたことが認められるのであつて、かような事情からすれば、右示談書に被告が賠償すべきものとして記載された金一、〇二三、〇〇〇円の金額は、原告会社において当時判明していた修理費用の見積りを概算した額を記載してその賠償を受ける旨約定したものにすぎず、現実に修理の為支出された費用がそれを超過した場合にも、右金額を限度として賠償を打切るという趣旨であるとは認められず、事故車両修理費の支払に関する本件示談書第一項は、原告が現実に支出した事故車両の修理費はすべて被告において負担するという趣旨と解するのが信義則に適し、当事者の合理的意思に沿うものというべきである。

八、よつて原告が支出した事故車両の修理費用の額を検討するに、〔証拠略〕を総合すると、昭和四二年七月一五日から同年一〇月二一日頃迄の間に原告の請求する少なくとも計金一、三七六、六六三円を支払つていることが認められるので、本件示談の趣旨に従い、被告は原告に対し右と同額の金銭を支払う義務がある。

九、被告が昭和四三年五月二三日示談契約に基く修理費用金一、〇二三、〇〇〇円を弁済の為供託したことは争いないが、右説示のように、それは修理費用支払債務額の一部にすぎないのであるから、未だ債務消滅の効果を生じないというべく、従つて被告に対し前記金一、三七六、六六三円及び之に対する本訴状送達の翌日であること記録上明かな昭和四三年九月四日以降支払済迄の法定利率年五分による遅延損害金の支払を求める原告の請求は正当である。

一〇、しかし乍ら本件示談契約の要旨は、被告は原告に対し事故により被損した車両の修理費用のみを賠償すべく、それ以外相互に損害賠償の請求をしない、というにあることは前説示の通りであるから、被告に対し右修理費用以外の損害ありとしてその支払を求める原告の請求は理由がない。

一一、よつて原告の被告に対する本訴請求は、金一、三七六、六六三円及び之に対する昭和四三年九月四日以降支払済に至る迄年五分の金銭の支払を求める部分に限り之を認容し、その余は棄却することとし、主文の通り判決する。

(裁判官 小西高秀)

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